東京地方裁判所 平成10年(ワ)7913号 判決 1999年4月22日
原告 甲山A夫
原告 甲山B雄
原告 乙川C子
右三名訴訟代理人弁護士 森公任
被告 三菱信託銀行株式会社
右代表者代表取締役 丙谷D郎
右訴訟代理人弁護士 高橋紀勝
右同 土井隆
主文
一 被告は、原告甲山A夫に対し、金三八六万六一三三円及び
1(一) 内金七万八七四五円に対する平成九年一〇月一七日から
(二) 内金一一円に対する平成一〇年二月一七日から
(三) 内金二三一万五四七二円に対する同月一八日から
(四) 内金一一八万九三四六円に対する同年七月二四日から
それぞれ支払済みまで年〇・一パーセントの割合による金員及び
2 内金二八万二五五七円に対する平成九年一〇月一七日から支払済みに至るまで年〇・四三パーセントの割合による金員
を支払え。
二 被告は、原告甲山B雄に対し、金三四六万九四八〇円及び
1 内金五万六九二三円に対する平成九年一〇月一七日から
2 内金六三〇円に対する同月二一日から
3 内金八円に対する平成一〇年二月一七日から
4 内金三四一万一九一七円に対する同月一八日から
それぞれ支払済みまで年〇・一パーセントの割合による金員を支払え。
三 被告は、原告乙川C子に対し、金三一六万一三一九円及び
1 内金一四九八円に対する平成九年一〇月二一日から
2 内金七万二七九三円に対する同年一一月一三日から
3 内金一五二〇円に対する同月二一日から
4 内金八一六円に対する同年一二月六日から
5 内金六二〇五円に対する同月二一日から
6 内金一四九一円に対する平成一〇年一月二一日から
7 内金六二二〇円に対する同年二月六日から
8 内金二円に対する同月一七日から
9 内金三〇七万〇七七〇円に対する同月一八日から
それぞれ支払済みまで年〇・一パーセントの割合による金員を支払え。
四 原告らのその余の請求を棄却する。
五 訴訟費用は、これを一〇分し、その七を被告の、その余を原告らの負担とする。
六 この判決は、原告らの勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一 被告は、原告甲山A夫に対し、金五五二万三〇四八円及び
1(一) 内金一一万二四九四円に対する平成九年一〇月一七日から
(二) 内金一六円に対する平成一〇年二月一七日から
(三) 内金三三〇万七八一八円に対する同月一八日から
(四) 内金一六九万九〇六六円に対する同年七月二四日から
それぞれ支払済みまで年〇・一パーセントの割合による金員
2 内金四〇万三六五四円に対する平成九年一〇月一七日から支払済みまで年〇・四三パーセントの割合による金員
を各支払え。
二 被告は、原告甲山B雄に対し、金四九五万六四〇〇円及び
1 内金八万一三一九円に対する平成九年一〇月一七日から
2 内金九〇一円に対する同月二一日から
3 内金一二円に対する平成一〇年二月一七日から
4 内金四八七万四一六八円に対する同月一八日から
それぞれ支払済みまで年〇・一パーセントの割合による金員を支払え。
三 被告は、原告乙川C子に対し、金四五一万六一七〇円及び
1 内金二一四〇円に対する平成九年一〇月二一日から
2 内金一〇万三九九〇円に対する同年一一月一三日から
3 内金二一七二円に対する同月二一日から
4 内金一一六七円に対する同年一二月六日から
5 内金八八六五円に対する同月二一日から
6 内金二一三一円に対する平成一〇年一月二一日から
7 内金八八八六円に対する同年二月六日から
8 内金四円に対する同月一七日から
9 内金四三八万六八一五円に対する同月一八日から
それぞれ支払済みまで年〇・一パーセントの割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告らが、被告に対し、被告が氏名不詳者に対し原告らの預金を払い戻し、あるいは、金銭を貸し付けて、その後、原告らの普通預金と相殺したのは無効であるとして、普通預金払戻請求権及び金銭信託による預託金払戻請求権に基づき、普通預金については、元金及び被告が氏名不詳者に対し金員を交付した日である平成九年一〇月一六日時点の残高に対しては同月一七日から、同日以降総合口座普通預金に入金されて被告において相殺した各金員に対してはその入金日の翌日から、それぞれ支払済みまで約定の〇・一パーセントの割合による利息、金銭信託については元金及びこれに対する平成九年一〇月一七日から支払済みまで約定の〇・四三パーセントの割合による利息の支払を求め、被告は、氏名不詳者に対する原告らの預金の払戻し、金銭貸付け及び相殺はいずれも準占有者に対する弁済として有効であるなどと主張した事案である。
一 争いのない事実
1 原告甲山A夫(以下「原告A夫」という。)は、昭和五二年一一月一日から、同人名義を用いて、被告千住支店において、普通預金、貸付信託、金銭信託、定期預金、これらを担保とする金銭消費貸借(以下「当座貸越」という。)等の取引を含む総合口座取引を開始し、平成九年一〇月一五日当時の右各取引における残高は次のとおりであった。
普通預金 一一万二四九四円
金銭信託 四〇万三六五四円
貸付信託 六四三万円
2 原告甲山B雄(以下「原告B雄」という。)は、平成三年六月一四日から、同人名義を用いて、被告千住支店において、総合口座取引を開始し、平成九年一〇月一五日当時の右各取引における残高は次のとおりであった。
普通預金 八万一三一九円
貸付信託 七九四万円
3 原告乙川C子(以下「原告乙川」という。)は、昭和五二年一一月一日から、原告乙川の同日時点の氏名である「甲山C子」名義を用いて、被告千住支店において、総合口座取引を開始し、平成九年一〇月一五日当時の右各取引における残高は次のとおりであった。
金銭信託 一〇万三九五七円
貸付信託 七二〇万円
4 総合口座取引規定によれば、総合口座取引において、普通預金の残高を超えて預金払出しの請求があった場合には、預けられた貸付信託等を担保に、貸付担保の残高に応じて一定額まで自動的に融資できる仕組みになっており、さらに、原告A夫と被告間においては、金銭信託のうち据置期間(一箇月)を経過したものがあるときは、普通預金の残高を超えて払戻しの請求があった場合、被告は、その不足額について右金銭信託を解約して普通預金へ自動振替えする合意があった。
5 平成九年一〇月一六日、氏名不詳者(男)が、被告千住支店において、原告ら三名の氏名を各記載し、いずれも「甲山」という印章が押捺してある被告所定の普通預金支払請求書三通を被告発行の原告ら名義の総合口座通帳三通と共に提出し、原告A夫名義の口座について五五〇万円、原告B雄名義の口座について五〇〇万円、原告乙川名義の口座について四五〇万円の合計一五〇〇万円の払戻しを請求した。
6 被告千住支店は、同日、氏名不詳者に対し、右額の金員を交付し、同日及びその後、原告らの総合口座において、次のとおり処理した(以下「本件払戻し」という。)。
(一) 原告A夫の口座について
(1) 五五〇万円の交付については、平成九年一〇月一六日、普通預金残高の払戻しとして一一万二四九四円、金銭信託の解約による普通預金への振替入金の払戻しとして四〇万三六五四円、当座貸越による普通預金への振替入金の払戻しとして四九八万三八五二円の処理を行った。
(2) そして、当座貸越による貸付債権については、総合口座普通預金において、平成一〇年二月一六日に入金された一六円、同月一七日に入金された三三〇万七八一八円、同年七月二三日に入金された一六九万九〇六六円とそれぞれ同額を相殺した。
(二) 原告B雄の口座について
(1) 五〇〇万円の払戻しについては、平成九年一〇月一六日、普通預金残高の払戻しとして八万一三一九円、当座貸越による普通預金への振替入金の払戻しとして四九一万八六八一円の処理を行った。
(2) そして、当座貸越による貸付債権については、総合口座普通預金において、平成九年一〇月二〇日に入金された九〇一円、平成一〇年二月一六日に入金された一二円、同月一七日に入金された四八七万四一六八円とそれぞれ同額を相殺した。
(三) 原告乙川の口座について
(1) 四五〇万円の交付については、平成九年一〇月一六日、当座貸越による普通預金への振替入金の払戻しとして四五〇万円の処理を行った。
(2) そして、当座貸越による貸付債権については、総合口座普通預金において、平成九年一〇月二〇日に入金された二一四〇円、同年一一月一二日に入金された一〇万三九九〇円、同月二一日に入金された二一七二円、同年一二月五日に入金された一一六七円、同月二〇日に入金された八八六五円、平成一〇年一月二〇日に入金された二一三五円、同年二月五日に入金された八八八六円、同月一六日に入金された四円、同月一七日に入金された四三八万六八一五円とそれぞれ同額を相殺した。
二 争点
1 総合口座取引規定又は民法四七八条の類推適用による免責(被告の氏名不詳者に対する本件払戻しの有効性)
(被告の主張)
(一) 原告らと被告との間の総合口座取引に関する総合口座取引規定九条一項には、「通帳や印章を失ったとき、または、印章、氏名、住所その他届出事項に変更があったときは、直ちに書面によって当店に届出て下さい。この届出の前に生じた損害については、当社は責任を負いません。」と定められているところ、原告らは、本件総合口座通帳三通を紛失したことに気付きながら、被告に届け出ることなく放置していたのであるから、被告は本件払戻しによって原告によって生じた損害については免責される。
(二) 総合口座取引規定一〇条には、「この取引において請求書、諸届その他の書類に使用された印影を届出の印影と相当の注意をもって照合し、相違ないものと認めて取扱いましたうえは、それらの書類につき偽造、変造その他の事故があってもそのために生じた損害については、当社は責任を負いません。」と定められている。
本件払戻しを行った氏名不詳者の外見や言動には、不自然な点はなく、本件払戻金額である一五〇〇万円の現金引出しは特に珍しい事例でもなく、本人確認が義務付けられている大口現金引出しに当たらず、本件払戻しに関し普通預金支払請求書に記載された原告A夫の名前が書き間違っていたが、このようなことは珍しくなく、また、右請求書に押捺された印影と届出印鑑の印影とは同一又は酷似しており、被告千住支店の担当者が、相当の注意をもって平面照合と印鑑照合機による重ね合わせ方式で照合した結果、相違ないものと認めて本件払戻しをした。このように被告千住支店担当者には、過失はないから、右規定又は民法四七八条の類推適用により、本件払戻しは有効と認められ、被告は免責される。
(原告らの主張)
本件払戻しを行った氏名不詳者は、本件総合口座の預金者でないことは明白であり、本件総合口座通帳の残高を把握しておらず、本件払戻しに関する普通預金支払請求書において原告A夫の名前を書き間違えており、一五〇〇万円の大金を持ち帰るのに、電動機付自転車で来ていた者であるから、被告担当者としては、本件払戻しを行う者としては不自然であると気付くべきであった。また、普通預金支払請求書に押捺された印影と届出印鑑の印影の同一性を肉眼で対照するだけでなく、重ね合わせて確認を行うと、その相違は容易に判明した。このように氏名不詳者の不自然さに気付かず、重ね合わせて印鑑照合を行わなかった被告担当者には過失があるから、本件払戻しは有効ではなく、被告は免責されない。
2 過失相殺
(被告の主張)
原告A夫の妻は、平成九年一〇月一五日以前に本件総合口座通帳三冊を紛失したことに気付きながら、被告に届け出ることなく放置していたのであり、原告側の過失により本件損害が発生したものであるから、大幅な過失相殺が行われるべきである。
(原告らの主張)
原告A夫の妻が、本件総合口座通帳を見当たらないと考えたのは、平成九年一〇月下旬のことであり、直ちに被告千住支店に連絡をしているのであり、原告側には過失はない。
第三争点に対する判断
一 総合口座取引規定又は民法四七八条の類推適用による免責について検討する。
1 <証拠省略>によれば、次の事実が認められる。
(一) 氏名不詳者は、平成九年一〇月一六日午前一一時一〇分ころ、被告千住支店を訪れ、預金のカウンター窓口係である丁沢(以下「丁沢」という。)に対し、まず被告の貸付信託支払請求書を提出したが、すぐに「これではなかった。すみません。」と言って、被告千住支店の正面玄関から外に出ていった。
(二) 氏名不詳者は、三、四分後に再度来店し、再び丁沢に対し、原告ら名義の総合口座通帳三通と普通預金支払請求書三枚を提出した。右請求書には、口座番号と氏名が記載され、押印があったが、金額及び年月日は記載されておらず、また、原告A夫名義の普通預金支払請求書には、「甲山A夫」の名前ではなく誤って「甲山E夫」という名前が記載されていた。
(三) 丁沢は、右支払請求書三枚の印影と総合口座通帳の印影とを平面照合の方法(普通預金支払請求書に押印された印影と総合口座通帳裏の届印の印影を並べて見比べる方法)により照合した上で、氏名不詳者の「出せるだけ出したいのだけれども、幾ら出せますか。」という質問に対し、原告ら名義の総合口座に係る最大支払可能額(原告A夫名義については五五一万六〇九二円、原告B雄名義については五〇八万一三一九円、原告乙川名義については五一〇万三九五七円)を教えた。
(四) そこで、氏名不詳者は、右支払請求書に、原告A夫名義の口座につき五五〇万円、原告B雄名義の口座につき五〇〇万円、原告乙川名義の口座につき四五〇万円の金額を記載して丁沢に提出した。
(五) 丁沢は、氏名不詳者に対し、一五〇〇万円の金員の使途を尋ねたところ、氏名不詳者は「ちょっと急に。」と言い、丁沢はそれ以上の追求はしなかった。また、丁沢は、氏名不詳者に対し、銀行振込みか預金小切手の方法により金員を受領することを勧めたが、氏名不詳者は、「現金でいいです。」と答えたので、丁沢は、普通預金支払請求書のお受取指定欄の現金のところにレ点を記載した。
(六) 丁沢は、氏名不詳者から原告ら名義の総合口座通帳三通と普通預金支払請求書三枚を受領後、受付番号札を氏名不詳者に渡した上で、右支払請求書の記入内容を確認してから、総合口座通帳裏の届出印と支払請求書の印影を平面照合してから重ね合わせ照合(普通預金支払請求書に押印された印影部分を折らずに、総合口座通帳裏の届印の印影に重ね、照合する印影を上下にこまめに動かして、両者が一致するかを確認する方法)をしたところ一致していると考え、コンピューターの端末で出金の手続をした。丁沢は、普通預金支払請求書の内容を確認する際、原告A夫名義の右請求書には、甲山A夫の名前が誤って記載されていたことに気付かずに右手続を行った。
(七) 丁沢は、三〇〇万円までの現金支払の権限しかなく、一五〇〇万円の支払を行うために、検印者戊野(以下「戊野」という。)に対し、検印を依頼したところ、戊野は、平面照合した上で、顧客の届出印の印影を映し出す印鑑照合機を用いて重ね合わせ照合を行い、普通預金支払請求書の印影は、総合口座通帳の印影と一致すると判断したが、戊野は、甲山A夫名義の普通預金支払請求書に記載された氏名が「甲山E夫」となっており、「E夫」とあるのは「A夫」の誤りであることを気付き、丁沢に対して右誤りを指摘した。
(八) そこで、丁沢は、氏名不詳者を呼び、氏名の記入が通帳と異なっている旨を伝えたところ、氏名不詳者は、「間違って子供の名前を書いてしまった。」と言い、「E夫」の一字を「A夫」に訂正し、丁沢に促されて訂正印を押した。
(九) 丁沢は、昼食のための交代時刻である午前一一時二〇分が到来したため、氏名が訂正された普通預金支払請求書を戊野に手交し、同人と窓口を交代した。
そして、戊野は、午前一一時三〇分ころ、氏名不詳者に対し、受付番号札と引換えに、出納から受け取った現金一五〇〇万円を交付した。
(一〇) 氏名不詳者は、自動二輪車又は原動機付き自転車で被告千住支店に来店し、この間、ヘルメットを持ち、白い手袋をはめたままであった。
2(一) 右に認定した事実を前提に、被告の免責の有無について判断するに、まず、被告は、総合口座取引規定による免責を主張するが、同規定九条一項は、被告の過失の有無如何にかかわらず、通帳の紛失の届出前に原告において生じた損害について被告が無条件に免責されることを定めた規定であると解することは到底できないし(仮に、右規定がそのような趣旨を定めたものであるとするならば、原告らと被告の関係を規律する規定としては無効である。)、同規定一〇条も、請求書の印影を届出の印影と相当の注意をもって照合しさえすれば、損害について、被告は責任を負わないことを定めた規定であると解することもできず、結局、被告が免責されるか否かは、民法四七八条に定める債権の準占有者に対する弁済の規定の類推適用により、本件払戻しが有効とみなされるか否かによるといわなければならない。
なお、本件払戻しは、普通預金残高の払戻し、金銭信託の解約による普通預金への振替入金の払戻し、当座貸越による普通預金への振替入金の払戻し、その後の当座貸越による貸付債権と普通預金との相殺として構成されており、債務の弁済のみならず、金員の貸付けや相殺が含まれているが、当座貸越を利用した普通預金の払戻しは、貸付信託を担保とし、貸付金の返済がない場合に貸付信託との差引計算を予定した上で、当座貸越による振替入金に基づき貸出しを行うというものであり、貸付信託の期限前解約と同視することができるものであるし、あるいは、その後貸付金と普通預金との相殺の処理が予定されているものであるから、本件払戻しを全体として一個の行為として捉え、民法四七八条の規定を類推適用して、被告が、本件払戻しを行うに当たって、金融機関として負担すべき注意義務を尽くしたと認められるか否かを判断すべきである。
(二)(1) そこで、前記1の事実によれば、本件払戻しの手続を行った丁沢は、氏名不詳者が提出した原告A夫名義の口座の普通預金払戻請求書の氏名の記載の誤りに気付かないままに、氏名不詳者に対し、本件総合口座通帳から払い戻すことができる最大支払可能額を教示したり、氏名不詳者が払戻しを請求した一五〇〇万円の出金手続を行っていたのであり、丁沢において、窓口の対応において求められる注意義務を十分尽くしていたものとは認められない。
(2) そして、氏名不詳者には、普通預金払戻請求書の氏名を誤って記載しただけでなく、氏名不詳者には、次に述べるとおりの不審事由があったと認められる。
ア 氏名不詳者は、一度被告千住支店に来店して貸付信託支払請求書を提出したが、これを撤回して店外に退出し、三、四分後に再度来店して今度は普通預金支払請求書を提出した。
イ 氏名不詳者は、金額欄を記載しないままに、普通預金支払請求書を提出し、丁沢に対し、払戻可能額を質問をしており、氏名不詳者が預金残高及び預金の内容を知悉していない疑いがあった。
ウ 氏名不詳者は、丁沢からの一五〇〇万円の使途についての質問に対し、言葉を濁して答えず、また、自動二輪車又は原動機付き自転車で来店していたのに、銀行振込みか預金小切手の方法による金員の受領に応じずに、一五〇〇万円の金員を現金で受領することを希望した。
エ 氏名不詳者は、丁沢からの普通預金払戻請求書の氏名の記載の誤りの指摘に対し、間違って子供の名前を書いた旨を述べたが、三通の総合口座通帳の中には「甲山E夫」という名前の名義人は存しておらず、氏名不詳者は、「甲山A夫」と書くべきところ、誤って「甲山E夫」と記載した可能性があった。
オ 本件総合口座における一五〇〇万円という金額の本件払戻しは、従来の取引と比較して異例の多額の取引であった<証拠省略>。
カ 氏名不詳者は、本件払戻手続の際、手袋をはめたままであった。
(3) 右の各点の一つ一つは、さほど重大な事柄ではないが、右各点を総合し、かつ、氏名不詳者が、原告A夫名義口座の普通預金払戻請求書の氏名を書き間違えていたこと、氏名不詳者は、三通の総合口座からの払戻しを請求しているのであり、そのうち少なくとも二口座については預金者本人ではないことが明らかであることを併せ考えると、本件払戻手続を行った被告担当者としては、氏名不詳者の本件払戻しについての正当な権限の有無を確認するために、氏名不詳者が原告らのうちのいずれの者か、又は、原告らから委任を受けた者かを問い質し、免許証や身分証明書の提示を求めたり、本人や正当な使者ないし代理人であれば当然知っているべき自宅や勤務先の電話番号や勤務先名、生年月日、家族構成やその氏名などを質問するなどして、右権限の有無を確認する手立てを講じるべきであったといわなければならない(この点、郵便貯金法及び郵便貯金取扱規程(郵便局編)四条に基づき定められた郵政省貯金局長の通達である郵便貯金取扱手続(郵便局編)七条が、郵便貯金の払戻し等を行う場合に、その請求者が正当な権利者であるかどうかを請求人に質問をし、又は、証明資料の提示を求め、若しくは、委任状の提出を求める場合として、郵便貯金の払戻請求人が払戻金の受領証の住所氏名を誤記した場合を挙げていることが参考になる。)。しかるに、丁沢は、前記(1)のとおり、普通預金払戻請求書の氏名の記載の誤りをも見過ごすという不注意な窓口対応を行ったのであり、右誤りを見過ごしたため、前記(2)に記載した氏名不詳者の不審事由についても疑念を抱かず、氏名不詳者の正当な権限の有無を確かめる必要性も認識することなく、戊野によって、氏名の記載の誤りを指摘された後に至っても、氏名不詳者からの子供の名前を書き間違えたとの弁解を鵜呑みにして氏名不詳者の正当な権限の有無を確かめる措置をとらなかったのは丁沢の過失と言わざるを得ない。そして、その後、丁沢の事務を引き継いで一五〇〇万円の払戻しを行った戊野においても、右のような措置を採ったとは認められないから、結局被告には過失があったものといわなければならない。
3 そうすると、被告は、本件払戻しについて無過失であったとは認められないから、本件払戻しは、民法四七八条の類推適用により有効であると認めることができず、被告の免責の主張は採用できないから、原告らの本件普通預金払戻請求権及び金銭信託による預託金払戻請求権は消滅していない。
二 過失相殺について
1 <証拠省略>によれば、次の事実を認めることができる。
(一) 原告らは、原告A夫の妻であり原告B雄と原告乙川の母である訴外甲山F美(以下「訴外F美」という。)に通帳の管理を一任していた。
(二) 訴外F美は、平成九年一〇月一二日から一六日の間に一度、総合口座通帳三通を持参して被告千住支店を訪れ、定期預金の更新の確認の手続をしたが、そのころに、総合口座通帳三通を紛失した。
(三) 訴外F美は、総合口座通帳の紛失にしばらく気付かず、同年一〇月末になって初めて右通帳の紛失に気が付き、被告の千住支店に電話でその旨を連絡した。
(四) 訴外F美は、同年一一月中旬、被告千住支店において、キャッシュカードを用いて原告乙川の口座から払戻しを受けようとして初めて本件払戻しを知った。
2 右の認定事実によれば、訴外F美が総合口座通帳の保管について十分な注意を払っていたとはいえず、原告らが、訴外F美に対し、本件総合口座通帳の管理を委ねていた以上、被告において本件払戻しが行われたことについて、原告らにも応分の責任があると考えられる。そこで、原告らから総合口座通帳の管理を一任されていた訴外F美において、盗難ないし紛失しないように注意して総合口座通帳を管理し、紛失後は直ちに被告銀行に書面で届けていれば本件払戻しは起こらなかったことを勘案すると、原告らの過失割合は三割と定めるのが相当である。
三 以上によれば、原告らの本訴請求は、請求額の七割について理由があるからこれを認容し、主文のとおり判決する。
(裁判官 前田順司)